『我傍に立つ』という小説について 1
ある夢がきっかけとなり、未だに気になる中国の歴史上の人物「諸葛孔明」について、色々情報を探しているうちに、とても素敵な小説に出逢いました。
Amazonで、確か「諸葛孔明」か「諸葛亮」かで検索したらヒットしたものだと記憶しています。
作品説明には、「古代東洋の大陸をモデルとして描いたオリジナル小説」としか書かれておらず、「三国志」や「諸葛孔明」の文字はなく、半信半疑ながら、Kindle Unlimitedで無料でダウンロードできたので、とりあえずと気楽に読み始めました。
主人公の名前こそ違いますが、孔明っぽい人や劉備っぽい人、趙雲っぽい人などが次々登場します。
今まで、『三国志演義』などの三国志関連の有名な小説は、興味があるにもかかわらず、なぜか途中で挫折。
三国志に限らず、歴史小説って、人物描写が誇張され過ぎ(ヒーローが美化され過ぎ、悪役が悪過ぎ、など)だったり、史実を追うばかりの説明的な文章だったりして、あまり面白いと思えなかったのですが、この小説は、心理描写がとても細やかで、現実味のある描かれ方をしているので、とても自然に読めました。
説明的というのでもなく。なので「歴史小説を読んでいる」という感じがしませんでした。
また、今までにネットや本で読んだことのある有名なエピソードについても、どこか現実味を感じさせる描かれ方で、特に、有名な「三顧の礼」と「泣いて馬謖を切る」と思われる箇所は、ああ、そうか、そういうことならわかる気がするなあ、という感覚で読みました。
主人公のキャラクターが、今どきの若者のような印象で、諸葛孔明の小説を読んでいるというよりは、時代不詳のある一人の人物の自伝を読んでいるような。
そのセリフの内容は、とても今どきの若者が発することのできるようなものではないのですが…。そのギャップがまた不思議でした。
なにより文章がとても美しく、心惹かれるものがあり。
途中からは、これが三国志をもとにした小説なのかどうかはどうでもよくなり、なんというか、哲学者の自伝か何かでも読んでいるような感覚というか (あ、この人は「軍師」なんですけど)、とにかく引き込まれるように夢中で読みました。
(後半、"主人"を失ってからの主人公の境遇や心情はあまりに痛ましく、読み進めるのが辛かったですが)
そして…。
後書きや付録から、どうやらこの物語が著者の「前世の記憶」であるらしいと知り、思わず鳥肌が立 ちました。
不思議なのですが、それを疑うとかそういう気持ちよりも先に、ストンと「腑に落ちる」感覚でした。
私自身には「前世の記憶」などありませんし、「前世」というものを信じていたわけでもない(具体的に考えたことすらなかった) のに、なぜだか抵抗なく「ああ、そういうことだったのか」と自然に受け入れている自分が不思議というか。
それだけ、この小説に「真実味」のようなもの、そういう"空気感"があったのだと思います。うーん、うまく説明できない。理屈じゃないというか…。
(私個人の勝手な感覚かもしれませんが)
そして、巻末の付録には「出師表」。
「陛下の忠実なる家臣である諸葛亮が申し上げます 。」
という一文、「諸葛亮」という名をそこで初めてはっきり目にして、瞬間、なぜか泣きそうになってしまった。
なぜか?よくわかりません☆
(著者の方がもしこれを読まれたら、気持ち悪いだろうなー(^_^;)ごめんなさい)
この方が、本当に諸葛孔明の生まれ変わりなのか?それは私にはわかり得ないことですが、そんなことはどうでもよくなるくらい、この小説は素晴らしいものでした。
でも、もしも本当に、諸葛亮という人物の記憶を持った方と同時代に生きていて、いわばご本人の生の記憶を、ご本人の言葉で、今時空を超えて直接目にすることができているのだとしたら、夢のような奇跡だと思います。
そんな奇跡を、体験したのかもしれない。
信じてみたい気持ちにさせられる、とても力のある小説でした。
出逢えたことに感謝です。
私にも、もし前世があるのだとしたら、おそらく「諸葛孔明」に憧れていた一庶民か、彼に仕えていた名もない兵士か、そんなところでしょうか(笑)。
それが、この人物が気になってしかたがなかった理由かもしれないなあ。