* 空と月 *

本好きのたわごと。

11年目

今日は、とても不思議な体験をしました。

11年前に亡くなった父にまつわることです。

 

前置きがちょっと長くなります。

私は、子供時代、ずっと人に嫌われないようにビクビクして生きているような情けない子供でした。

(今でこそ、「○○さんって言う時は言うよね」とか言われておりますが(^^;))

「大人が求める条件」を必死に満たしても、そのときの感情に任せて突き放される。そんなことの積み重ねで、子供の頃の私はかなり混乱していたと思います。

いつのまにか、自分の意志というものを内に閉じ込めるようになり、とにかく人から「嫌われないように」振る舞うことが習慣になりました。

それが自分を守るための唯一の方法でした。

頭で考えなくても、自動的に、本能的に、自分を守ろうとしてしまっていたと思います。

そのうち、自分が本当は何が好きで、何が本音なのかもわからなくなり、ただただ、その日を「無事に」「無難に」過ごすことで精一杯になりました。

 「好かれたい」とか「評価されたい」ということよりも、ひたすらに「嫌われないように」ということで、頭がいっぱいでした。拒絶されて傷つくのが怖かった。

今思えば、いったい何をそれほどに守ろうとしていたのか。でも当時の私は必死でした。

年を重ね、社会人になり、少しずつ変わってはいったものの、子供の頃の癖は簡単には抜けず。上手くなったのは、そんな弱い自分を隠すことだけ。

その頃の体調の悪さ、仕事のストレスも重なり、次第に感情が麻痺していきました。心が死んでしまったかのようで、楽しいはずのことも楽しめなくなくなっていきました。

 

そんなさなか、父が亡くなりました。

ずっと単身赴任で一緒に暮らしていなかった父ですが、不思議な偶然が重なり、最期は家族全員に看取られて亡くなりました。

しかし私は、そのときでさえ、「悲しい」という気持ちをリアルな感情として感じることが困難でした。

現実感がまるでなく、「泣かなかったら、冷たい子だと言われるのだろうか」などと考えている自分がいました。最低です。

いくら、一般の家庭よりは縁の薄い親子関係だったとはいえ、そんな自分に愕然とし、情けなく、苛立ち、何度も自分を責め続けました。当時は、死んでしまったほうがマシだと思うくらい、自分を嫌悪しました。

 

それでも、それから11年の間に少しずつですが変わりました。

ある本との出逢いがきっかけとなり、優しく心ある方たちとの出逢いや、様々なことを通じて、少しずつ、自分の感情を取り戻しました。

今では、もう以前のように毎日ビクビクして過ごすことも、必要以上に自分を嫌うこともなくなりました。

 

そして今日。

外出先からの帰宅中、比較的空いているバスの一番後ろの席で、ぼんやりと外の景色を眺めていました。

そのときふいに、11年前の父の最期の姿が、頭の中にとてもはっきりと浮かびました。

それは本当に突然で、とてもリアルで、いまここに、本物の父がいて息をしているかのようでした。

その父のイメージを逃したくなくて、思わず目を瞑り全力で集中しました。

頭の中の「リアル父」を見つめながら、色んな考えが次々に浮かびました。

あのとき、父は何を思っていたのだろう。

決して絆の濃い家族ではなかった。その家族全員に、思いがけず見取られながら最期を迎えることになった父は。

私たちが父を呼ぶ声は聴こえていただろうか。

この世から去ることを、どんなふうに受け止めていたのだろう。

哀しかっただろうか。やりきれなかっただろうか。

それとも生き切ったと、思えていただろうか。

そんな様々な思いが、一気に心に湧き出てきました。

私は父のことを何も知らなかった。

そして父の息が弱くか細くなり、命の火が徐々に、とても静かに音もなく小さく弱く消えてゆく様が、ありありと思い出され、人の魂が身体から離れてゆくときのあの静寂の瞬間が蘇り、気づくと泣いていました。

哀しくて切なくて淋しくて、必死に声を殺して泣きました。

父がこの世からいなくなることが淋しくてたまらなくて泣きました。

父の無念を、哀しみを思って泣きました。

あの頃には感じた記憶のない、とても強く激しい感情でした。

たった今、父を亡くしたかのように、泣きました。

あの頃よりもずっとずっとリアルな感情で。

 

月命日の今日。もしかしたらやっと、私は本当の意味で父を看取ることができたのだろうか。11年もかかってやっと。

あの頃も、悲しくないわけがなかったのに、その感情を「感じる」ことができなかった。

ずっと、もう二度と、あの瞬間をやり直すことはできないと思っていました。いくら悔やんでも、二度と戻ってはこないと。

 

でも、あの頃にはぼんやりと霧がかかったようでしかなかった父の最期の姿が、今日本当にはっきりと、ありありと思い出せたことに、驚きました。

記憶というものの不思議さを感じずにはいられませんでした。

11年悔やみ続け、自分を責め続けた思いが、静かに癒やされていくような感覚がありました。

あの頃の自分を、ようやく許すことができたのかもしれません。

 

人と人との関係とは、不思議なものです。
あの世へ旅だったからといって、そこで終わりではなく、その関係は常に生きていて、常に変化しうるものなのかもしれない。

私が生まれて半年で、うちを出て一人暮らしを始めた父。一緒に暮らしたことのなかった父。生きているうちは縁の薄い親子関係で、何かを相談するようなことも一度もなかった。

そんな遠かった父が、今日なぜかとても近くに感じられ、愛おしくさえ感じました。

仕事人間だった父ですが、職場での様子を葬儀の時に父の同僚だった方が切々と語ってくださっていたのを思い出しました。

親子としてではなく、ひとりの人間同士として、もっと色々話をしてみたかった。もっともっと彼という人間のことを知りたかった。

もう一度父に会いたくてたまらない。

今はそんなふうに思っています。