願うことに罪はない 〜理想の社会
なんだか深いい記事に、色々考えさせられたので、ひとり言をダラダラと。
極から極にふれてしまうことのあやうさ
意味を取り違えているかもしれないのですが、この言葉から思ったこと。
私たちは普段、あれがダメならこれ、これがダメならそれ、と何か「正しそうな答え」ばかりを追い求めて、極端なものを渡り歩いている状態のかもしれないな。
そんなものが膨れ上がって、混沌としすぎていて、そもそも「正しい答え」なんて存在するのか?と、そんなふうに思ってしまうのは、「ひとつだけの答え」を探してばかりいるからなのかもしれない。
全てがバランスしている「真ん中」が、この混沌を終わらせる最大のヒントなのでしょうか??
長きにわたって繰り返されてきた横線(ひとびとが地上でわらわらする)と縦線(上からの命に従う)以外の第3のやり方
というものが本当に存在し、もしもそれを見つけ出すことができるのだとしたら、その先に、本当に新しい世界が開けるのかもしれない。
私はまだその小説を読んでいないのですが、確かになんだかワクワクしてきた(笑)。
下記のブログ主さんの言葉が、何か深いヒントをくれているような気がしました。
願うことに罪はないのなら、
・良き指導者が
・道義心を持つ民の心に従い
・皆が仲良く穏やかに暮らしていくための社会を作る
という理想の実現を私は願います。
真の意味で「皆が主役」で、しかも「友好的」かつ、「人道」が叶っている状態が水瓶座らしい世界だと思いますね。
『真の意味で「皆が主役」で、しかも「友好的」かつ、「人道」が叶っている状態』
私などは、ぼんやりとしたイメージでしか捉えられていないような、ふわ〜っとしたものを、この方はいつもはっきりと明確に言葉にされていて、尊敬してしまう。
自分のなかの「ぼんやりイメージ」がぽんっと目の前に言葉として現れるので、瞬間、つられて自分の視界まで一気に開けて明るくなったような錯覚(笑)と心地よさと嬉しさをいただいています。
(私のことなので、色々取り違えて解釈していたり、分かってないことも多々あると思うけど。)
余談ですが、普段の生活で身近な人たちとの間では、わざと真面目な話を避けている感じがあり(それこそ空気を読んで)、現代の風潮かなあ。
なので、ネット上で色々な方の思いに触れられるのは、勉強になるし、嬉しい貴重な体験です。何かを考えるきっかけをいただける感じ。
ネット上には、信じられないくらいの「ネガティブな本音」も飛び交っているけど、こうして違う意味の「本音」に触れることもできる。
ただ、世情に疎くて頭も悪い私には、とてもついていけない難しい話も多いので、辛うじて自分の頭でも共感できたところだけσ(^^;)
もとい。
つまり難しい理屈ではなく、ただ、仲良く平和に暮らせたらいいのになと思うだけです。
もう本当に誰かが虐待されることに耐えられないし、これ以上の殺戮は見たくないというのが本音です。
本当に、そう思う。
崇拝とは違う、お互いを尊重し合うこと。
依存とは違う、お互いに助け合うこと。
皆が仲良く平和に暮らすために、本当の意味の「自立した在り方」を、子供のうちから、ひとりひとりに教え導くことのできるような社会の仕組みがあったらいいのになあ〜、と夢を見る。
はあ、性に合わない難しいこと考え過ぎて、頭がフリーズ(・・;)したので、この辺で。