モネ展へ行ってきました
「モネ それからの100年」展へ行ってきました。
モネの影響を受けた現代画家の作品が主なので、モネ自身の作品はあまり多くはなかったですが、それでも、よかったです。
色遣いの素晴らしさ。
モネが創りだす微妙なニュアンスの色彩が好きです。明る過ぎず、甘すぎず、優しすぎず。
特に「睡蓮」を描いた作品の深遠な雰囲気がとても好き。どこか憂いのある、言葉では表現し難い色彩。観ていると、心の奥の奥のほうから癒されるような感じがします。今回は数点のみでしたが、あの静寂の世界に触れられる幸せ。
モネは、なぜキャンバス一杯に、池の水面のみを写したりしたのだろう。なぜ何枚も描き続けたのだろう。
水面の鏡に映る空と、その奥に存在する深くて暗い世界に、何を見ていたのだろうか。
地球の中心というのではなく、広大な宇宙でもない、もっと違う未知の世界へと繋がっているようで、恐ろしいような、懐かしいような。
例えば、いずれ還る場所。例えば、母親の子宮の中。それとも、そのもっと先に存在する世界…?色々、想像を膨らませてしまいます。
グッズ売り場に、三色色違いののトートバッグがあり、商品の横に、生地にプリントされた文章の和訳が添えられていました。
その文章が印象的だったので↓
(展覧会公式サイトより引用)
<トートバッグに書かれたクロード・モネの言葉>
Tandis que vous cherchez philosophiquement le monde en soi, j’exerce simplement mon effort sur un maximum d’apparences, en étroites corrélations avec des réalités inconnues.
【和訳】あなた方は世界を哲学的に理解しようとするが、私はひたすらその外観の全てを捉えることに努力を傾注する。なぜなら、それは知られざる真実と結びついているからだ。
モネの眼には固定観念というものがないのか、作品に出来る限り近づいてみると驚かされます。おそらく本当に眼に映ったそのままの「色」だけがそこに描かれていて、それなのに、距離を置いて見ると、不思議とそこに見覚えのあるものが浮かび上がる。まるで魔法のようです。
この人の眼の透明度はどうやらすごい。
「思考」に依らず、真実の世界をまさにありのまま捉える。そんなことが、普通の人間にできるものなのかと。「自我」というものが削ぎ落とされた、まるで「神の眼」のような…?
世界を哲学的に捉えることと、目に映るありのままを見ること。
おそらくどちらもこの世界には必要で、どちらも同じ真実へと繋がっているのではないか。漠然とそんな風に思いました。
モネの絵を、自分が今よりももっと透明度の高い眼で見ることができたなら、そこに真実が写しとられているのを捉えることができるのでしょうか。