映画『羊と鋼の森』
美しい映画でした。
音も景色も光も、主人公の真っ直ぐすぎるほどのひたむきさも、透明で澄んでいました。
予告で、ただただピアノの音色の美しさに誘われ、それほど期待もせずに観たものですが、映画を観てこんなに心洗われる思いになったのは、いつぶりだろう。
ピアノの調律師を目指す主人公の成長の物語。
長い間調律されておらず、埃に埋もれていたピアノを再生していく場面は、ボロボロに泣いてしまった。主人公が再生したのは、喪失の悲しみと深い孤独に沈みきっていた青年の心。あまりに切なくて美しいシーンでした。
そして、劇中に登場する、原民喜『砂漠の花』の一節の味わい。
明るく静かに澄んで懐かしい文体
少しは甘えているようでありながら
きびしく深いものを湛えている文体
夢のように美しいが
現実のようにたしかな文体
『羊と鋼の森』原作は、かなり前に一度読みましたが、当時は、悪人不在のどこまでも優しく美しいストーリーに、民喜の言う「きびしく深いもの」が欠けているような、「優しすぎる」という印象しか抱けなかった記憶。欠けていたのは、当時の私の感性のほうだったのかな?
今回映画を観て、もう一度原作を読んでみたくなりました。
昔から、小説にも、音楽にも、絵画にも、まさにこの『砂漠の花』の一節が表してるようなものを無意識に求めてしまう。
澄んでいて夢のように美しいけれど、きびしさや憂いを含み深いものを湛えている…そんなものに出逢えたときは人生の至福の瞬間です。
余談ですが、「砂漠」って、「沙漠」とも書くんですね。知らなかった。ネットで検索したら、『沙漠の花』という表記のものがいくつかありました。
もうひとつ余談。主人公の先輩役の鈴木亮平さんが、西郷どんのときと全く違うオーラを放っていて、驚きました。すごい役者さんだ、亮平どん。