* 空と月 *

本好きのたわごと。

魂と魄の話。

 

心が安まる老子

心が安まる老子

 

 一昨日読んだ本に、こんな文章がありました。

 古代の中国では 、魂は人の精神に宿り 、肉体には魄 (たましい =ハク )が宿り 、ともに人の生命を保持すると考えられていた 。人が死ぬと魂は天に昇り 、魄は地に下る 。精神と肉体は 、常に調和している 。

 精神と肉体は別々の存在で、肉体が滅びたあとも精神は魂として存在し続けるのか。

とすると…つまりこんな感じ?

普段私たちは、魂に肉体という借りものの着ぐるみをかぶり、その着ぐるみに名前を付けて生きている。

そして、死んだらその着ぐるみをすっぽり脱いで、神様にお返しして、名もない魂に戻り、あの世へ還ってゆく。

そんなイメージでしょうか。ちょっと違うって?(笑)

 

もしそうだとしたら、名前も、地位も、名誉も、功績も、生きた足跡も、その着ぐるみにくっついているものであって、脱いだら(死んだら)自分から離れて、あの世へは持っていかないのか。

いずれ別の人間として生まれ変わったときには、「他人のこと」として認識することになる?

(小さい脳みそで考えた精一杯。違っていたらすみません。)

 

もしそれが本当なら、少し淋しいような、でもなんだか一気に力みが抜けて気持ちが楽になる気もします。

普段、自分はきっとあまりにも「自分(=着ぐるみ)」を意識しすぎていて、一体化しすぎていて、だから些細なことを深刻に受け取って、悩んだり、苦しんだりしてしまう。

嫌われたと感じて不安になったり、他人からの評価を気にして一喜一憂したり。

このままでいいのか、この人生に何の意味があるのか、と焦りや虚しさを感じたり。

 

でも、もうすこし、気楽に生きてもいいのかな?

 

そんなことを考えていた矢先、こんな記事を発見しました。

ksnovel-labo.com

自分にとってあまりにもタイムリーな話題だったので驚いてしまいました。

そんなタイミングも手伝って、とても興味深く読みました。

私の場合、魂と肉体は別だと思うと、かえって肉体を大事にせねばと思える。
「自分のもの」
だと思うから肉体をぞんざいに扱いがちなのであって、お借りした別の生命体だと考えれば粗末にはできない。

ああ、本当にそうだなあ。

期間限定の借りものなのだとしたら、大切に扱わないと。

 

なぜだかふと、自分のことを、もう一人の自分が眺めているような、不思議な感覚になりました。

あまりにも不甲斐ない今の自分を、呆れながら許してくれている、もう一人の自分。そんなイメージが浮かび、なんだか泣きそうになりました。

 

(追記)

上記のブログを読んでいて、気づかされたのですが、もしも「前世の記憶」を今の人生でも持っていたら、その前世はその人にとっては「他人事」ではなくなってしまうのか。

そんな記憶が幾重にも折り重なっていったら、いったいどんな感覚になるのだろう。

私などが興味本位で考えてはいけない気がしますが。