返信に感謝 & 言葉の力
『我傍に立つ』の著者さんへ、先日のブログ記事へのお礼メールをお送りしたら、再び、ブログにてもったいないくらいの嬉しいお言葉をいただき、感謝の気持ちで涙がでそうでした。
なんて素敵なことがあるものだろう〜。・゚・(>_<)・゚・。
本を読んで、直接ご本人に感想や手紙(メール)を読んでいただくことなんて、今まで一度もなかったので、感動しきり。
再び感謝の気持ちをお伝えしたい気持ちになりましたが、多くのメールを受け取っておられそうな方なので、ご負担をおかけしそうな気がしてやめました。(小心者)
代わりにここに記事にしてみたわけですが、著者さんがこの地味すぎる個人ブログを発見する可能性は、万にひとつもなさそうなので、ほぼ自己満足で書いていますm(_ _)m
また、同じ記事のなか、別の方への返信にとても印象深い言葉がありました。
かつてプラトンが書いた文章に触れたとき、大昔の人の情熱を直接に感じ取る体験をしました。以来、書き残すことの意義を知りました。
途中で誤読する人たちがいくら多くても、未来に読む人へは直接に届く可能性がある。文章とは奇跡を叶えるツールです。
そうか、たとえ本人がもうこの世にいなくても、言葉はそのままの形で、何千年、何万年の時を生きていく。
そして未来のどこかで、その言葉に込めた思いが誰かの心に直接届き、その人を動かす。
まさに奇跡だなあ。
他人を介してではなく、「直接届く」というのがなにより素晴らしいですね。
それでふと思い出したのですが…。
少し前になりますが、映画『空海』を観たのをきっかけに、空海についての本を数冊読んでみたことがあります。 (映画の原作を先に読めって?)
仏教や密教の知識など全然ない無教養な私には、何とも難解。
そんな中、最も印象に残ったのが、後世に他人が書いた解説よりも、やはり空海本人の書いた文章でした。
(『空海 「性霊集」抄』
主に空海の書いた手紙などを弟子が集めてまとめたもの)
といっても漢文は読めないので、口語訳されたものではありますが、山の暮らしで空や鳥や動物たちを愛でていたり、弟子の死をものすごく悲しんだりしている、人間らしい空海の言葉にとても惹かれました。
解説本からでは伝わってこなかった、柔らかで優し気な、そして繊細な人となり。なんともいえない心地よさに包まれ、心が澄んでくるような…。
ああ、これが空海という人なのかと、初めて「本人」に触れたような感動がありました。
(それよりちゃんと内容のほうを理解しようぜと突っ込まれそうですが)
空海の言葉には、言葉そのものに魔法がかけられているかのような、人を心地よくさせる何かが宿っている気がしました。
言霊、言魂、という言葉があるように、そこには、何よりその人自身の魂のようなものが宿るのだろうと思います。
だからこそ、「本人の言葉」がそのまま残っていくことが大切なのでは、と。
何千年、何万年あとの未来に生きる人が、言葉を通して、その人の魂に触れる奇跡。
夢があってとても素敵です。
文才のある人がうらやましい。