* 空と月 *

本好きのたわごと。

映画『万引き家族』を観て

映画『万引き家族』を観てきました。

人にとって本当に大切なものとは?そんなことを考えさせられる映画でした。

以下、思ったことをダラダラと。

 

表面上、どんなに常識的に見える家族でも、お互いがお互いをまともに見ていない、そういう家族は沢山あると思います。

お互いの、淋しさにも、傷みにも、優しさにさえ気づかない。眼差しが欠如した家族。血は繋がっていても、形ばかりの絆。

一方で、この映画の家族は、心に深い傷を負った者たちが居場所を求め、寄り添うように生きる、血の繋がりのない家族。彼らの暮らしは「犯罪」にも関わるいくつもの問題、過ちを抱えていて、いつか破綻するしかなかったわけなのですが、ただ、そんな彼らの毎日には、眼差しがありました。

相手を見つめる眼差し。ただその存在を受け入れる眼差し。そこにいていいのだと思わせてくれる眼差し。

それが人間にとって、どれほど必要で、どれほど大切なものか。

 

やがて世間から「犯罪」の部分を断罪されるに至り、そこにあったささやかな幸せまでもが、「常識人」たちの「常識的」な言葉によって、容赦なく残酷に切り刻まれていきます。子どもたちの純粋な優しい思い出さえ、暴力的なまでの「正しさ」「決めつけ」によって曲げられていく。

彼らが心に負った傷や、抱え込んだ哀しみ、そして優しさについては、見向きもされず。

この映画が、彼ら側の視点で描かれているせいもあるかもしれませんが、世間の「常識的」な言葉が、あまりに薄っぺらく響き。

知らないうちに刷り込まれた「常識」で目を覆い、教え込まされた「幸福」について少しも疑わない、そういう感受性の欠如に、思わず身震いしてしまう。短絡的な「決めつけ」によって一様に否定するだけの、その残酷さに、傲慢さに。

自分たちを「常識人」と位置づける人たちを中心に創りあげられた世界の片隅で、たとえそのレールからは外れても、不器用に懸命に真実を生きようとしている人たちが存在している。

 

「血の繋がり」は人と人の絆において必ずしも重要ではないと思っています。そこだけが居場所ではない。その事実で救われる人が大勢いる。

子ども達に何より必要なのは、ここにいていいんだと感じさせてくれる眼差しではないかと思います。

再び居場所を失ってしまったりんちゃんの未来は…。一方でこの家族の在り方に疑問を感じて、違う道を歩む決心をした祥太くんは。

二人に、再び温かな優しい眼差しが注がれますようにと、祈らずにはいられない。

 

以上、取り留めもなくまとまらない感想を失礼しました。